父が亡くなりました

2025/05/07 に父春山忠男が79歳で亡くなりました。 晩年の父はスノーボードのインストラクターでした。

その前後に起ったことを記録しておきます。

2025/02 中旬 父の癌が発覚しました。手術不能な状況であったようですが、 発覚後もまだ東京から新潟まで車でスノーボードに行くことができるくらいだったようです。 (このあと車で事故を起こさないでよかったです)

しかし、食事が細くなりまた化学療法や薬物療法が合わなかったようで 2025/03 に実家で会ったときはもうそのうち死にそうに見えました。 ただしまだ自分で自分のことはできていて、自社ビルの不動産管理会社の運営も一応はできていたようです。

2025/04 中旬に自宅で体がつらくなり同居している母に救急車を呼ぶように要請して、どこかで一時危篤になったようですが意識は回復しました。 その直後の土曜である 2025/04/19 に私は病院に面会に行きました。 この時点では意識ははっきりしており体も補助があれば立ち上がれそうで病院にいるならばしばらく死なないのかなと私は思っていました。 そこで遺言めいたことを聞き、また父母でやっている不動産管理の合資会社に加入することにしました。 (正式な遺言状は確認していません。おそらく入院前は死ぬつもりがなかったのでないのでしょう)

父は 2025/05/02 までは完治はできないという状況は理解したものの一時でも帰宅するためリハビリに励んでいたようですが、 2025/05/02 に腹筋を痛めてしまって急速に弱ったようです。 2025/05/05 に見舞った際はもう長くはないなと私は思う状態でした。ただし言葉でのやりとりはできていました。 そして 2025/05/07 に亡くなりました。

合資会社に加入するために司法書士に依頼し書類を整えてもらっていましたが、 その手続きの前に亡くなりました。 そのため、会社は一時期母一人のみなし合同会社となりました。 2025/05/13 に登記を2つ行ない、母と私が社員の合同会社で私が代表社員という形になりました。

葬儀は 2025/05/11 に家族葬で行ないました。私は宗教には興味はないので参加していません。 葬儀社のと打ち合わせには参加しました。

そういうわけで相続と会社の事業承継で忙しくしています。 どちらの話も進行中でいろいろ面白い話もすでにありますが、今公開していい話はないです。